1950年代
1949年、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による自動車の生産制限解除が日本の自動車産業復興の契機となり、戦時中の技術の停滞を挽回すべく、50年代前半は、欧米メーカー車のノックダウン生産を通して最先端の自動車技術を修得するという潮流が生まれました。日産は52年に英国・オースチンモーター社との技術提携を開始し、55年にはその技術をフィードバックした戦後初のフルモデルチェンジ車「ダットサンセダン110型」を発売します。57年にはOHVエンジンを採用した「ダットサン1000セダン」へと進化させ、初参戦となる第6回豪州一周ラリーに出場すると、1台がAクラス優勝を果たしました。これとほぼ同時に乗用車の対米輸出も開始されます。早くも59年には、1000セダンの後継として、より洗練された国際商品の「ダットサンブルーバード」がデビューし、このセグメントでダットサン車の確固たる地位を築きます。
また、富士精密工業(後のプリンス自動車工業)から「プリンススカイライン」が発売されたのが57年で、 59年からは、高級乗用車「プリンスグロリア」も派生しました。
1950年
1月 | ▪ |
ダットサントラック 4146型 |
5月 | ▪ |
民生ディーゼル工業(現:日産ディーゼル工業)に資本参加 |
9月 | ▪ |
ダットサン乗用車 DS型 ダットサン乗用車 DS型 |
1951年
1月 | ▪ |
ダットサントラック 5147型 ダットサントラック 5147型 |
12月 | ▪ |
ニッサンパトロール 4W60型 |
1952年
1月 | ▪ |
ニッサントラック 380型 ダットサンスポーツ DC3型 |
2月 | ▪ |
ニッサンバス 390型 |
3月 | ▪ |
プリンストラック AFTF型 プリンスセダン AISH型 |
12月 | ▪ |
1953年
1月 | ▪ |
ダットサントラック 6147型 ダットサントラック 6147型 |
2月 | ▪ |
ニッサンバス 490型 |
4月 | ▪ |
ロケットの研究開発に着手 |
5月 | ▪ |
ニッサントラック 480型 |
8月 | ▪ |
日産自動車労働組合(新組合)結成 |
1954年
5月 | ▪ |
プリンスキャブオーバートラック AJVC型 |
1955年
1月 | ▪ |
ダットサントラック 120型 ダットサン乗用車 110型 |
4月 | ▪ |
プリンスキャブオーバートラック AKTG型 |
5月 | ▪ |
ニッサンバス 590型 |
12月 | ▪ |
ニッサントラック 580型 |
1956年
8月 | ▪ |
ジュニア B40型 |
1957年
4月 | ▪ |
プリンス スカイライン デラックス(ALSID-1型) |
8月 | ▪ |
フォークリフト第1号車オフライン |
9月 | ▪ |
プリンスマイラー AOTH型 |
10月 | ▪ |
ダットサン1000セダン 210型 ダットサン1000セダン 210型 |
11月 | ▪ |
ダットサン1000トラック 220型 |
12月 | ▪ |
1958年
6月 | ▪ |
乗用車の対米輸出開始 |
8月 | ▪ |
ダットサンキャブライト A20型 |
9月 | ▪ | |
10月 | ▪ |
プリンスクリッパー AQTI型 |
1959年
2月 | ▪ |
プリンスグロリア BLSI型 |
3月 | ▪ |
ニッサントラック 680型 台湾・隆社、日産の海外KD工場として生産開始 ニッサントラック 680型 |
6月 | ▪ |
ダットサンスポーツ S211型 |
8月 | ▪ |
ダットサンブルーバード 310型 |
9月 | ▪ |
ニッサンバス 690型 |