1940年代
第二次世界大戦中は、民間の経済活動は大きく制限され、自動車の製造も軍需向けに限定されました。やっと迎えた1945年の終戦後は、物資不足により、自動車製造業にとっては困難な状況が続きました。一方で、敗戦により解体された航空機製造業から多くの人財が自動車産業へと流入し、新たな技術が生まれる基盤となりました。
日産自動車は1945年11月には戦後の第1号車をオフラインし、1946年以降、「ダットサントラック」や「ダットサン」などを次々と販売再開します。
一方、旧立川飛行機のエンジニアたちが興した新会社「東京電気自動車」(のちのプリンス自動車工業)による100%電気自動車「たま電気自動車」が1947年に販売を開始し、タクシー需要などに重宝されました。
1940年
3月 | ▪ |
満州・同和自動車工業向けにKD輸出を開始 |
1941年
2月 | ▪ |
ニッサントラック
180型 ニッサントラック 180型 |
1943年
8月 | ▪ | |
12月 | ▪ |
第2次世界大戦に伴い、乗用車・トラック共全面的に生産中止 |
1944年
9月 | ▪ |
本社事務所を東京日本橋に移し、日産重工業(株)と改称 |
1945年
11月 | ▪ |
1946年
1月 | ▪ |
本社事務所を再び横浜市に移転 |
8月 | ▪ |
ダットサントラック 1121型 繊維機械の研究開始 |
1947年
2月 | ▪ |
ダットサントラック 2124型 |
5月 | ▪ |
たま電気自動車(E4S47) |
11月 | ▪ |
ダットサン乗用車 DA型 |
1948年
3月 | ▪ |
ダットサン乗用車 DB型 ダットサン乗用車 DB型 |
1949年
2月 | ▪ |
ニッサンバス 290型 |
8月 | ▪ |
社名を日産自動車(株)に復帰 |
- | ▪ |
ダットサントラック 3135型 |