日産の高度な運転支援技術「プロパイロット」。仮想空間「HILS」(ヒルズ、Hardware in the Loop Simulation)による実験を終えたあとは、車両へシステムを搭載し、リアルワールドでの走行実験に移ります。そこでも、泥臭く、情熱的な実験が繰り返されていました。AD(自動運転)/ADAS(運転支援技術)性能実験グループのリーダー、橋本 竜治たちのチームは、究極の「自然な走り」を目指し、数えきれないほど高速道路を走行しています。茂木試験場(栃木県芳賀郡茂木町)に昨年末、完成した新たなAD/ADASの実験施設では、急に飛び出してくる人や自転車、クルマにどう対応するかの実験が繰り返されています。
HILSでの挑戦の舞台裏はこちら。
職人のルーツ:操安と乗り心地への執着
橋本が日産の門を叩いた2005年、最初に配属されたのは、クルマの走りの質を決める「操縦安定性(操安)」でした。そこで8年間、「パトロール」や「タイタン」、「ムラーノ」の開発に携わり、評価ドライバーのプロフェッショナルとしての感覚を研ぎ澄ましていきました。その後、「乗り心地」の先行開発へと足を踏み入れます。目指したのは、不快な振動をできるだけ感じさせない滑らかな走り。「理想の乗り心地とは何か」を追求する日々でした。この時期に培われた「人間の感性を理解する評価能力」が、後の自動運転開発で最大の武器となります。
続いて、電動ブレーキの先行開発に5年間携わりました。日産独自のハイブリットシステム「e-POWER」やEV(電気自動車)は、エンジン負圧に頼らず、モーターでブレーキをアシストします。この技術は現在の電気自動車「日産アリア」やe-POWERが搭載された「ノート」にも活かされています。操安、乗り心地、そして制御ブレーキ。橋本は、クルマの「走る・曲がる・止まる」のすべてで豊富な経験を有する稀有なエンジニアとして信頼されるようになりました。
茂木試験場に2025年12月、完成したAD/ADASの実車実験施設。300×600メートルの敷地で、急な飛び出しの反応や、レーンキープの精度検証が重ねられている。
「物量作戦」で首都高を走行:プロパイロットの夜明け
2015年、橋本は自動運転技術の開発最前線へと送り込まれました。ミッションは、後に「セレナ」に搭載されることになる「ProPILOT」のレーンキープアシスト(LKA)機能の完成でした。開発の舞台は日本屈指の難所、首都高速道路でした。
「とにかく走りまくって、作り込む。まさに物量作戦でした」
橋本のチームは、月曜日に栃木実験場を出発。首都高をひたすら走り、都内のビジネスホテルに泊まり、また朝から走り始めます。1日8時間、朝晩の渋滞や、空いている深夜帯、雨天、晴天…。ひたすら首都高を走り続けました。
人は運転するとき、無意識のうちにクルマの動きを予測しながらハンドルを切っています。しかし、当時の制御技術は、クルマが動いたあとに、その動きを修正するフィードバック制御が中心だったため、動きがギクシャクしてしまいます。特に都心環状線(C1)のタイトなカーブや複雑な合流では、制御が困難でした。
「人にとっては道なりにスムーズに曲がるのは当たり前です。しかし、たったそれだけのことが、当時の制御技術にとっては至難の業だったのです」
カメラの認識限界に加え、道路の分岐や出口付近では、壁が迫ってくるように感じたりすることがあります。橋本は、自分が「機械」になったつもりで、システムがどこで迷うのか、そして人間の感性を基に人がどこで不安を感じるのかを、自らの体で評価し続けました。「上手なドライバーは、どのタイミングで、どうハンドルを切りながら走っているのか。それをプログラムに落とし込む作業の繰り返しでした」
金曜日にようやく栃木へ帰り、土日を過ごすと、また月曜日に首都高へ戻る。そうした過酷な日々を経て、誰もが安心して使える、日産独自のLKAは作られていったのです。
遠隔操作や自動運転が可能なクルマの模型。実験用の試作車が仮にぶつかっても、すぐに組み立て直すことができる。
全国ジャンクション巡り:2.0への飛躍
2019年、次なる挑戦は「プロパイロット 2.0」。高速道路でのハンズオフ走行の実現でした。実現するためには、従来のカメラ認識に加え、センチメートル単位の精度を持つ、高精度HDマップが不可欠でした。
しかし、当時はまだ地図メーカーに頼り切ることはできませんでした。橋本のチームは、計測器を積んだ試験車を自ら走らせ、全国の高速道路のジャンクション(JCT)のデータを収集する旅に出ました。
「ひとつのJCTでも、上りと下りを合わせると8通りのルートがあります。それをすべて網羅するために、全国のJCTを巡りました」
仙台から大阪、神戸―。橋本たちは大阪の複雑なJCT群を、1週間かけて攻略しました。データを取るだけでなく、現場で制御が正しく作動するかを確認し、問題があればその場でプログラムを書き換えていきます。この地道な開発が、世界初のハンズオフ運転システム※の土台となったのです。
- 対面通行路、トンネル内、急なカーブ路、料金所・合流地点及びその手前などでは、ハンズオフできません。ハンズオフができない区間に入るときにはシステムが事前にドライバーに報知するので、ドライバーはハンドル操作をする必要があります。
職人のこだわり:「スカイライン」から「日産アリア」、そして「エルグランド」へ
「プロパイロット 2.0」を初搭載した「スカイライン」では、まるでレールの上を走る新幹線のような、ビシッとした安定感を目指したといいます。そこから約7年が経過した新型「エルグランド」では、「プロパイロット」の目指す方向は「より人間らしく、より自然に」へとシフトさせています。「ドライバーが自分で運転したい時には、そっと寄り添う。人による制御感はしっかり出しつつも、まるで自分が運転しているかのような自然な動き。それが理想です」「ドライバーが運転を楽しみたい時には、システムは前面に出るのではなく、さりげなく支援する。ドライバーの操っている感覚を損なうことなく、まるで自分自身で運転しているかのような自然さを実現することが理想です。」
新型「エルグランド」の試験では、栃木試験場のオーバルコースや北海道にある陸別試験場を駆け回りました。実世界のあらゆるシーンで「今日、なんか運転が楽だったね」とお客さまに言っていただくために、今日もハンドルを握り、膨大なデータと向き合っています。
入社以来、根底にある想いは一貫しています。
「運転のストレスを減らし、遊びに行く範囲が広がる。お客さまの生活を豊かにする。そんな技術でありたい」
他社のベンチマークを気にしすぎることはありません。大切なことは、お客さまに「これはいい」と心から思っていただけるものを届けることです。栃木県宇都宮市の八幡山を望む自宅で過ごすひとときも、頭の片隅には常に「理想の走り」への問いかけがあります。
橋本のチームが、首都高で、そして全国のJCTで流した汗は、私たちのこれからの移動をより自由で、より心地よいものへと変えていこうとしています。