2024.3.31

身の回りにある自然が未知への入り口に。「環境移送技術」が可能にする、もう一つの生態系

モビリティと生物多様性。一見、結びつきそうにないこの2つを掛け合わせることで、環境問題の解決をビジネスとして成立させているベンチャー企業があります。それが、世界で初めて時期をコントロールしたサンゴの人工産卵に成功した株式会社イノカです。同社が研究開発を進める「環境移送技術」はこれまで、さまざまな企業との共同研究や協業実績を重ねてきました。海の環境を移動可能にすること≒モビリティ化が、どのように海の生態系を守り、海洋生物がもたらす豊かさを享受し続けることにつながるのでしょうか。

今回、お話をうかがったのは、社会が今求めていることに真摯に取り組みながら、はるか先の未来も見つめるイノカ代表の高倉葉太さん。若きイノベーターからの“問いかけ”とは?

高倉葉太さん

高倉 葉太
1994年、兵庫県姫路市生まれ。東京大学工学部を卒業、同大学院暦本純一研究室で機械学習を用いた楽器の練習支援の研究を行う。2019年4月に株式会社イノカを設立。サンゴ礁生態系を閉鎖空間で再現する独自の「環境移送技術」を活用し、大企業と協同でサンゴ礁生態系の保全・教育・研究を行っている。2021年10月より一般財団法人ロートこどもみらい財団理事に就任。同年、Forbes JAPAN「30 UNDER 30」に選出。

環境移送技術の究極形は「もう一つの地球」を作り出すこと

――2022年2月、イノカは世界で初めて、時期をコントロールしたサンゴの人工産卵を成功させ、国内外からの注目を集めました。それを可能にしたイノカの「環境移送技術」とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。

簡単にいえば、海のリバースエンジニアリングです。海水というのは、水質や水温、水流、照明環境、生物同士の関係性など、さまざまなパラメーターの組み合わせでできています。その海の環境を再現するためには、まずは現地に出向いて海にいる生物も含めた詳細を把握し、さまざまなパラメーターに分解します。そして、これらのパラメーターを、自社で開発したAI/IoTデバイスを用いてコントロールし、その場所の水環境をモデル化して自然に近い形で水槽などの閉鎖空間に再現するのです。

高倉葉太さん

なぜ「環境移送」などという難しい印象の言葉を使うのかと、不思議に思う人もいるかもしれません。例えば「海洋再現水槽」などと表現したほうがわかりやすいですよね。でも、そう言ってしまうと、それ以上広がらずに終わってしまう気がするのです。僕たちは今、日焼け止めクリームやマイクロプラスチックなど、海に流出する可能性がある製品や原料がサンゴにどのような影響を与えるのかを解析したり、本物のサンゴに触れながら学べる環境教育プログラム「サンゴ礁ラボ」を運営したりと、さまざまな事業でこの技術を活用しています。

でも実は、この生物多様性とモビリティの掛け合わせの可能性がどこまで広がるのか、僕たち自身、まだ把握できていません。「環境移送」という概念を掲げることで、未来に向けて自由な発想ができるよう、あえて余白をもうけているとも言えます。

――もともと環境保護への関心から「移送」を発想されたのですか?

実は、100%そうとも言えないのです。僕の一番の根本にあるのは「生き物が好き」という気持ち。イノカは僕と同様、生き物が大好きな人間が集まっている会社で、こんな僕たちにしてみれば、生き物を育む自然環境がなくなることが純粋に嫌なんですね。

イノカの教育事業の一環で小学生と一緒に海に行くと、驚くことがあります。彼らは生き物を探す前にプラスチックのゴミを探すのです。それは、学校でSDGsを学習する過程で、「プラスチックのゴミが海を汚染しているので見つけたら拾いましょう」と先生に教えられているから。でも、海に行ったらまずはカニを探したり、不思議な生物を見つけたりしたほうが楽しいと思いませんか?「サンゴが見たいのに、その上にペットボトルが乗っていて邪魔だ」「この魚が死んじゃったら嫌だ」と思うから自然環境の大事さに気づく。

僕たちは社会の旗振り役を標榜していますが、「環境を守ることは人間の義務である。善人を目指しましょう」といった崇高な気持ちで旗を振っているわけではありません。まず、多くの人に生き物を好きになってほしい。目の前の魚が死んだら嫌だという、その感情を持ってほしいのです。

高倉葉太さん

――生態系や環境を移動可能にすること≒モビリティ化によって、どのような価値を生み出すことができるのでしょうか。

環境移送技術を使えば、イレギュラーな要因を排除し、科学的に“きれいな”データを得ることができます。

僕たちが作る海水は天然のものではありません。30以上の微量元素が溶け込む任意の海の水質を、水道水から人工的に作り出します。これはつまり、沖縄の海の環境を東京で再現できるということです。

例えば、ある企業が、自社製品が海に与える影響を調べようと思ったとして、実際の海で実験・調査を行うには関係各所から許可を得る必要があります。そのためだけに数年の月日を要することも。さらに、仮に調査ができたとしても、それが“きれいな”データかどうかの判断は簡単ではありません。実際の海の環境は、台風や降水など、その時々の自然現象に大きく左右されるからです。

一方、環境を移送すれば、場所を選ばず、標準的で安定した環境で実験や解析ができる。これは、モビリティ化がもたらす大きな価値だと思います。

――環境移送は今後、どのような方向に活用されていくのでしょうか。

サンゴだけでなく、マングローブや海藻など、さまざまな生き物に環境移送技術を応用していくことはもちろんですが、僕たちは早く、これらの生物を守ったあとの話をはじめたいんです。環境移送技術が完成したあとの究極はおそらく、もう1つ地球を作ること、テラフォーミングだと思います。

楽観的かもしれませんが、これだけ皆ががんばれば、地球環境の保全も進んでいくはずだと思うんですね。だからこそ、進んだ先の未来のことも含めて考えていかないといけない。海藻から薬や化粧品、布地を作るなど、活用方法をセットで考えることも必要でしょう。守って増やし、経済に返す循環を作ることを考えていきたいです。

ゴールを決めず最適解を探る道のりを楽しみたい

――イノカはこれまで、研究開発にとどまらず、オフィスへの水槽設置や、製品の海洋への影響調査など、企業との協業を進めてこられました。その背景には、脱炭素から生物多様性へ、企業がさらなる課題に向き合うよう求められている現状がありますね。

TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)の発足によって、生物多様性への取り組みに大義が与えられたことで、各社の取り組みもCSRやボランティアといった枠から出た感があり、僕たちのビジネスも進めやすくなっています。

ただ、脱炭素の取り組みも然りですが、そもそも100%正解かどうかわかっていないことを正解と言い切って進めることには疑念もあります。水槽の管理を行うアクアリストは、水槽の環境が崩れたとき、例えば水温のような一指標だけのせいにはしません。

CO₂濃度も、地球環境における何百、何千、何万ものパラメーターの中の一つでしかないのですから、まず脱炭素、次は生物多様性とターゲットを決めて対応するのではなく、一度立ち止まって本質を捉え直すことも必要なのではないかと思いますね。

高倉葉太さん

――お話をうかがっていると、短期間に企業としての価値を上げる、いわゆるスタートアップの手法とは異なる印象を受けます。環境問題をビジネスで解決するうえで留意しているのはどのようなことでしょうか。

自分たちが好きな自然を見続けたい気持ちを行動原理にして活動することで、結果として環境を守れるだろうというのが僕たちの立ち位置です。その視点で地球環境の最適解を提案していきたい。あるビジョンを持ち、目的地を決め、そこから逆算して走るとすると、ゴールに到達したらもう終わりでしょう?

イノカは、何年以内の上場といった目標を設けて短期間で急成長することを目指してはいません。今社会に求められていることをしているだけで、環境保全の現状から逆算して行動しているわけでも、競うことを前提にしているわけでもないのです。せっかく起業家として規程路線に捉われず進めるのですから、自由な視点で道なき道を切り拓いていく方が面白いと思っています。創業から4〜5年経ってもいまだに「一体イノカは何の会社なのだろうか」と考える余裕があることを僕はポジティブに捉えていますね。

僕たちは何かを達成したいわけではなく、イノカという概念自体を何百年も先の未来に残していきたい。だから、北極星のような大きな目標だけを定め、あとは社員一人一人の個性を生かすことを考えながら進んでいます。

高倉葉太さん

突き詰めれば生き物は高度なロボット?当たり前の中に未知は潜んでいる

――科学の進歩が続けば、人間は移動する必要がなくなってしまうのではないかという議論もあります。メタバースについてはどう思われますか?

メタバースで作れるものは、人間が現時点の科学で理解できているところまでですよね。だから、たとえメタバースで起きていることに不思議を感じても、すべて説明がついてしまうということです。それって楽しいでしょうか。本物を見て不思議を感じ、日々新しい発見をしたい気持ちは人々の中にあり続けるのではないかと思っています。

僕は、生き物はある種ロボットに近いと思っているんです。生き物もすべて化学物質の元素の集合体であることを考えれば、車や電子機器と何ら変わりません。例えば、水槽の中で泳いでいるデバスズメダイという小さな魚を水中ドローンだと思って見てみる。すると、とんでもない性能をもっていることがわかります。

イノカのオフィスに設置された水槽を泳ぐデバスズメダイ

イノカのオフィスに設置された水槽を泳ぐデバスズメダイ

まず驚くべきはその小ささでしょう。デバスズメダイは最大でも約8cm。人間が作り出したドローンは、これほどまでには小さくないし、おまけにめちゃくちゃ操作が難しい。さらには電源も供給しないといけません。ところが、小さなデバスズメダイは、強い水流の中でも流れを感知して姿勢を制御し、小さなエビ3匹で1日動く。工学を専門とする僕が、もっとも魅力や可能性を感じているのがこの部分です。こうしたことに気づくのは、おそらく普段近くで本物の生物を見ているからだと思います。

――高倉さんの発想の源は、好きな生物を観察することにあるのでしょうか。

そうかもしれませんね。比較をして初めて不思議だと思うこともあります。デバスズメダイとクマノミが一緒に泳いでいるのを見てようやく泳ぎ方の違いに気づくわけで、僕が人生で1匹のデバスズメダイしか見ていなかったら何も疑問に思わなかったかもしれません。いまだ解明されていない紅葉の仕組みも、赤くなる葉があれば、黄色くなる葉もあることで気づくことがあるはずですよね。

子どものころは皆、目に触れるものすべてに対して「なんで?」「どうして?」と感じていたと思います。それが大人になるにつれ、常識として植え付けられることで当たり前と思うようになってしまう。でも、僕は、大人になってもちょっとした思考のトレーニングで不思議に思う感覚は取り戻せると思っています。例えば、自分の身の回りの自然の不思議を10個挙げてみたら、そこからいろいろなことが連鎖して気になりはじめませんか?

すべて当たり前だと思っていたら何のヒントも得られません。なぜこの生き物はこう動くのか、どういう仕組みで動いているのか。サイエンスやテクノロジーに関わる人にはぜひ日々こうした問いを立て続けてほしいですね。当たり前だと思っていることが当たり前じゃないという前提に立ち、その原理は本当なのかと疑う。世界初の発見というのも、意外とそうしたところからつながっていくものだと思います。

〈高倉葉太さんからの問いかけ〉
「身の回りの自然のなかで、あなたが不思議に思うことは何ですか?」