研究通信

2023.07.19

研究通信#7

見ているのに見えていない!?
交通安全と有効視野計測システムの
関連研究

1.はじめに

 昨年、交通安全未来創造ラボにおいて、有効視野計測システムのプロトタイプを開発し、発表しました。その後、北里大学にて、高齢ドライバーの協力を得て当システムの実証実験を実施してきました。今回、その実験結果を分析しましたので報告します。

2.有効視野とは何?

 「視野」は、見える範囲のことで、両眼で左右に約100度ずつ、上側は60度、下側は70度程度あります。「視野」という言葉は、欠けてしまう目の病気がありますので、聞いたことがある、あるいは眼科で検査を受けたことがあるという方は多くいると思います。
 一方、「有効視野」は、あまり聞きなれない言葉かもしれません。「有効視野」とは、歩きながらスマートフォンを操作する危険な行動である「歩きスマホ」で考えるとイメ―ジしやすくなりますが、中心を見ながら同時に情報処理を行える領域とされます(報告によっていくつかの定義があります)。測り方に大きく影響されますが、一般に左右に30度、上下に20度程度とされています(図1)。

図1 有効視野とは(イメージ図)

 「歩きスマホ」はなぜ危険かというとスマートフォンに集中していると視野が狭くなってまわりが見えず、ぶつかりやすくなるためです。ぶつかりやすくなる理由は、人が注意できる容量は決まっていて、視野の中心に注意を配分しすぎると周辺に配分できなくなり、反応が遅くなったり見落としたりするためと考えられています。これは目の病気がなく視野が正常の方でも起こります。何かに夢中になっているときには視野が一時的に狭くなってしまうのです。現在、この有効視野は、眼科にいけば測れるものではなく、交通安全未来創造ラボの中で開発された有効視野計測システムのように、中心や周辺に見るべき対象を配置することで視野を計測する特別な機器が必要です。このシステムは、現在もより良くなるよう改良が続けられています(図2)。

図2 研究の風景

 この有効視野を計測する機器、有効視野計測システムの活用目的は、主に2つあります。1つ目は、人の情報処理には限界があり、何かに集中しているときには視野が狭くなってしまうということを少しでも多くのドライバーに知っていただくことです。「何だ、知るだけか?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、知るということはとても強力な交通安全対策になります。自分の認知活動を客観的にとらえることを「メタ認知」と呼びますが、有効視野を知ることで、自分自身の見る状態を客観的にとらえ、自分をコントロールし、冷静な判断や行動ができるようになります。2つ目は、まさに研究が始まったばかりですが、訓練効果を得ることです。有効視野をトレーニングすることで周囲を冷静にとらえられるようになり、交通安全につながる効果を期待しています。この有効視野計測システムでは練習を重ねるほど結果が良くなることがわかっていますが、実際の運転で本当に有効視野が良くなるのかは、今後調査する必要があります。

コンピューターグラフィック画面での計測結果確認
実環境に近づけた高負荷による有効視野計測
図3 有効視野計測システム

3.交通安全と有効視野の関係は何?

 「有効視野」は、交通安全にどのように関わってくるのでしょうか?これはとても多くのシチュエーションが想定されます。まず「ながら運転」の例を挙げます。2019年12月1日に道路交通法の改正により、「ながら運転」が厳罰化されました。自動車運転中にスマホで通話をしたり、カーナビなども含めた画像表示用装置に表示された画像を注視したりすると違反になります。これは注視することで有効視野が狭くなり、交通事故が起こりやすくなることが指摘されているからです。海外報告では、有効視野は視力よりも交通事故との関係が強いとの報告があります(Ball K, et al., Invest Ophthalmol Vis Sci 34, 1993)。
 このように有効視野は、人の注意の向け方が関わっていますので加齢の影響を強く受けると予想されます。そこで高齢者では有効視野が特に狭くなるのではないかという仮説を立て、研究を行いました。

4.有効視野はどのように測る?

 「百聞は一見に如かず」なので、交通安全未来創造ラボのホームページの有効視野計測システムの詳細を是非ご覧ください。
 有効視野が狭くなる状況は多くあるため、過去の報告や測り方はいくつかあります。今回、北里大学が中心になり、株式会社PRIDIST協力、日産自動車株式会社監修のもと開発した有効視野計測システムは、周辺視野*1 にある対象へのブレーキペダルなどの反応時間と見落としに着目しました。何かに注意を向けているとき、周辺視野への反応が遅れ、見落としも多くなります。したがって、周辺視野への反応時間と見落としを計測していけば、危険対象に速く対処できる範囲を求めることができ、そこから有効視野範囲を求めることができると考えました。

図4 中心視野、周辺視野、有効視野の関係

 そして、この有効視野計測システムは、以下の3ステップで構成されています(図5)。
 ステップ1は、単純な条件による反応時間と有効視野範囲計測です。視野の中心にランドルト環という視力検査で使われる環を提示し、環の切れ目を手元のボタンで操作して答えていただきます。このとき注意の配分は中心視野に多く、周辺視野には少ない状態です。
 この状態で遠方にいる人の上半身の見え方を想定した長方形の視標(視覚的な標的)を周囲に提示し、見えたらブレーキペダルを踏んでいただき、反応時間を計測します。反応が速い人は有効視野が広く、反応の遅い人は有効視野が狭い人となります。
 ステップ2は、ステップ1の反応時間と有効視野の結果から日常での危険な状況を体験していただきます。ドライバーが運転中に周辺視野への反応が遅れた状況と、歩行者がスマートフォンに夢中になっている状況の2パターンがあり、自身の反応の遅れがどのくらい危険な状況になるのかを双方の視点で体験することができます。このように有効視野が狭くなった状況を日常生活の中に置き換えることで、メタ認知が働き、注意が一か所に集中しすぎていると感じたときに冷静な行動につながることができるようになると思います。
 ステップ3は、より複雑な判別作業や運転操作を加えて、有効視野がさらに狭くなる条件を作ります。中心視野にランドルト環の切れ目を提示し、ボタンではなくハンドルを使用し、手足と眼の共同運動を加えます。また周辺視野は、RやNなど特定の文字を探す視線探索を行わせ、より多くの注意を分散させます。

図5 有効視野計測システムのステップとその説明

図6 有効視野計測システムの計測風景

5.実験結果

 視力の良好な52名(若年者32名、高齢者20名)の研究協力者を対象に、この有効視野計測システムを使って実験を行いました。まずステップ1の単純な条件で中心タスクがある場合とない場合で周辺視野への反応時間を調べ、若年者と高齢者で比較を行いました。
 結果、高齢者は中心に注意を向けていると周囲への気づきが遅くなることがわかりました(図7)。

図7 ステップ1における周辺視野の中心タスク有無における反応時間

 また、すべての視野の位置で若年者よりも高齢者で反応時間が遅くなっていることがわかりました(図8)。さらに、高齢者で反応時間のばらつきが大きくなっていることもわかります。視標の位置と反応時間の関係については、統計学的に有意な差がありませんでしたが、今後の検討課題としたいと思います。

図8 ステップ1における提示位置と反応時間 年齢差

 複雑なタスクのステップ3は、単純なタスクのステップ1より反応時間が延長し、高齢者ではさらに遅くなることがわかりました(図9)。

図9 周辺視野のステップ1と3における反応時間

 これらの結果から高齢者は中心に注意を向けていると、周辺への反応時間が若年者に比べて遅くなってしまうことがわかりました。つまり、有効視野は高齢者でより狭くなり、交通事故のリスクが増えてしまう可能性があると言えます。

 交通事故統計では交通事故の死亡者数が減少しており、これは交通安全に携わってきた全ての方々の多大な努力と、歩行者やドライバーの皆さんがそれぞれの立場で交通事故に遭わないよう心がけてきた結果かと思います。しかし、交通事故全体の減少率に比べて、高齢者の事故の減少率は低く、依然として社会的な問題となっています。こういった現状と今回の研究結果を踏まえて、考えられる具体例をみていきます(本結果は、できる限り証拠に基づいて記述していますが、論旨を分かりやすく展開するため、因果関係の一部に少し飛躍が混じっている点はご理解下さい)。
 過去の交通事故事例には、先行車を追いかけながら右折したら対向車を見落として大きな事故になった例、横断歩道の向こう側にいた保護者のもとへ向かおうとした子どもが接近する車に気付かず事故になった例、ドライバーが看板に注意が向き歩行者を見落とした例など、どうしてこの状況で交通事故に繋がったか一見すると不思議にも思える事例があります。しかしながら、共通項を探して大きくとらえると、注意が何かに向いていた、その結果周りが見えなかった、反応が遅れたということもかなりの数があるのではないかと推測でき、交通事故と有効視野の関係は強いと考えられます。
 また、北里大学においても過去に県や市、警察、公益財団法人と一緒に行った視覚と交通事故の関係調査例があり、ここにいくつか紹介したいと思います。例えば図10のように、雨天時の夜間、横断歩道を横断中の事故や横断歩道外の横断事故、ほかにも夜間路上で寝ている人を轢いてしまった例など、ドライバーの視界には入っていたはずなのに、なぜ衝突したのだろうと感じる事故が多くあります。

図10 相模原市における事故事例(協力:相模原市)

 これらは雨や夜で視認性が悪い条件とはいえ、ヘッドライトや街路灯の光もあったわけですから、ドライバーの視野には人の情報が映っていたはずです。また、昼でも自動車、歩行者ともにゆっくり動いているのに事故が多発する交差点があります。これらを考えると歩行者など危険対象への反応が遅れたり、見落としてしまったりというのは、自動車の運転は、環境次第で周辺視野の情報を見落としやすくなることを示唆しているのではないかと思います。事故を起こしてしまった方の調書のコメントを見ると、歩行者が幽霊のように突然現れたなどの表現をする方がいます。あるメディアではこれをゴーストカー、ゴースト現象などとも表現されていました*2。
 事故の中には何かに注意がとられて事故につながった事例、反応時間の遅れにより起こってしまった例は多いと思います。「木を見て森を見ず」ということわざがありますが、自動車運転や歩行における有効視野も同じ考え方だと思います。交通事故は誰にでも起こりうることです。私たちは、「思ったよりも見えていないし、見られていない」ということを意識して行動することが重要です。
 今後、この有効視野計測システムを活用して、有効視野を体験できるイベントなどを開いて、交通安全の啓発につなげていければと思います。視覚と交通安全に関する研究の進捗も随時更新していきますので、引き続き交通安全未来創造ラボの活動に注目ください。

*1:わかりやすく表現するため中心視野以外の領域(有効視野を含む)を周辺視野と定義していますが、いくつかの定義、報告があります。
*2:社会で同意のとれた用語ではなく、別分野で違う意味で使われていることがあります。

交通安全未来創造ラボから
ドライバー、歩行者・自転車の皆さんへの
メッセージ

視界に入っているということと、
「脳が認識して見えている」
というのは違います。
道路では、「思ったよりも見えていないし、
見られていない」という
意識を持ちましょう。
そして、ドライバーの皆さんは、
カーナビ、看板など、
対象物に注意を長く
向けすぎないようにしましょう。


レポート制作:
川守田 拓志 特別研究員(北里大学 医療衛生学部 リハビリテーション学科 視覚機能療法学専攻 准教授)
宮坂 真紀子(北里大学 医療衛生学部 リハビリテーション学科 視覚機能療法学専攻 特別研究補助員)
飯塚 達也(北里大学大学院 医療系研究科 感覚・運動統御医科学群 視覚情報科学 博士課程)
鈴木 脩也(北里大学大学院 医療系研究科 感覚・運動統御医科学群 視覚情報科学 修士課程)
二瓶 由莉香(北里大学 医療衛生学部 リハビリテーション学科 視覚機能療法学専攻 ビジュアルサイエンスコース)