2011年12月23日

伝説のラリーカー復活:富士号&桜号

1958年にオーストラリアで行われた豪州一周ラリー「モービルガス トライアル」に参加した2台の210型ダットサン「富士号」「桜号」は、53年経った今も日産のモータースポーツの歴史の中で燦然と輝きを放っています。

これら2台のクルマは今年のニスモフェスティバルでのデモ走行に向け、復元作業が行われていました。

作業は厚木にある日産テクニカルセンターにて、社内のボランティアスタッフにより行われました。

このプロジェクトの代表を務める木賀新一は、「このクルマは日本のモータースポーツ創世記のまず第一のものだと思いますし、日本のクルマで初めて海外ラリーで優勝したわけですから、非常に栄誉もありますし、歴史もあります。これをきちんと皆さんに見ていただく、1回見ていただくだけではなくて、永久保存できる状態にすることが今回の作業の大きなひとつの目的です。単にきれいに直すということだけではなく、どうやってこのクルマが出来上がっているのか、どういう構造になっているのかをきちんとみんなで勉強して、把握して、自分の身につけて、今後の業務に生かしていけるようにしたいと思っています」と述べました。

作業を開始するにあたり車両の状態を詳しく調べると、復元には7ヶ月以上かかることが分かりました。

木賀は、「まず苦労するのが部品です。当時のもので腐ってしまったものもあるので、そういうものは取り替えたいのですが、50年前とか30年前のものとかだったりするので、いかに部品を調達するのかというのがあります。また、保管している間に色々と整備していただいているが、オリジナルからは随分ずれた状態になっているものもあり、そういうところを当時はどうだったのか、どうやればもとに戻せるのかを考えてやるということが苦労するところですね」と今回の復元作業の苦労を語りました。

海外からのメンバーも部品調達でチームをサポートしました。

米国のテクニカルセンターに在籍するジェームス ホープトは、日本への出張期間中、何週間も週末の作業に加わりました。

ホープトは、「ナビゲーター用のスピードメーターは非常に古い50年代のイギリス製のもので、日本では手に入らないものでした。そこで、アメリカの業者にいくつか連絡をとり、同じメーカーが作った非常に似たものを手に入れました。そして部品を取り替え、もとの状態に出来る限り近づけるべく、復元作業を行いました。完璧なレストアとは、出来る限り100%、元の状態に近づけるということです」と述べました。

ニスモフェスティバルの直前には、「桜号」は試運転ができるところまで作業が進んでいましたが、「富士号」はまだ最終仕上げの段階でした。

「富士号」の復元にはより多くの作業が必要でした。というのも、世界ラリーやその後のパレードや各地の展示などで、大きなダメージを受けていたからです。

「桜号」の復元は完了し、メンバーは試運転の準備を進めました。クルマはスムースに走り出し、テクニカルセンター内を無事に数周しました。

ガレージに戻ってくると、「富士号」の最初のエンジンテストの準備が進められていました。

「富士号」は、フェンダーに1958年のレース中に木に衝突してできた凹みをあえて残したまま、ゴール直後の状態に近づけるべく、忠実に復元作業がなされていました。

燃料タンクに給油をし、ラジエーターに水を注入し、解体後初めて、エンジンに火が入れられました。

チームリーダーの磯辺雅彦は、「エンジンはかかるとは思っていましたが、排気漏れなどが結構あるので、その点は修正するとともに、まだ細かい不具合がたくさんあるので、今日残りの時間と明日で作業をして、本番に何とか間に合わせるつもりです」と述べました。

毎年富士スピードウェイで開催されている「ニスモフェスティバル」は何万人ものモータースポーツファン、自動車の歴史に輝かしい足跡を残してきた日産を愛するファンが訪れます。

今年は3万人以上の観衆が「富士号」の名前の由来にもなった富士山の麓にあるこのサーキットに集まりました。

「富士号」、「桜号」はピットにいる間も観衆から大きな注目を集めました。

パレード走行の前には、エンジニアが作業を行う中、当時ドライバーを務めた難波靖治(なんばやすはる)がピットに立ち寄り、ゲストと会話を交わしました。

そしてついにその時がやってきました。チームメンバーは、コース上で行われるパレード走行に向けて、準備を始めました。

クルマがコース上に現れると観衆からは手が振られ、53年前に歴史を刻んだ2台の210型ダットサンに熱い声援を送りました。

「富士号」、「桜号」、そして半世紀以上にわたりクルマを守り続けてきた多くの人々にとって、ラリーはまだ終わっていませんでした。

12月初旬のこの日は、過去と未来をつなぐ、新たな歴史の一ページとなりました。そして、モータースポーツの歴史はこれからも続いていきます。