71958.6月 乗用車の対米輸出開始 1960.9月 米国日産設立1961.9月 メキシコ日産設立1962.3月 追浜(おっぱま)工場完成1963.8月 銀座4丁目に「日産ギャラリー」オープン1965.5月 座間工場完成1966.8月 プリンス自動車工業㈱と合併1969.2月 量産車として世界初の「4バルブDOHC」機構を採用 1971.3月 栃木工場完成豪州一周ラリーでクラス優勝した乗用車「ダットサン210型」の対米輸出を開始。国際市場でも競争力を発揮した。現地での販売体制強化に向けて、販売会社・米国日産を設立した。丸紅飯田(現 丸紅㈱)と共同出資でメキシコ日産を設立し、メキシコに進出。自動車工場を建設し1966年に生産を開始した。神奈川県横須賀市追浜地区に乗用車専門工場が完成。オートプレスなど、当時の国際水準以上の新方式を採用した。三愛ビル2Fにオープン。新型車展示に加えて、商品知識豊富なアテンダントも採用した革新的なショールームを設立。量産化を目的に、神奈川県高座郡座間町(現 座間市)に建屋面積20万8,000㎡に及ぶトラックの組立専門工場を設立。1958年8月20日〜9月7日、「第6回豪州一周1万100マイル モービルガス・トライアル」が開催され、当社から「ダットサン1000セダン 210型」の「富士号」と「桜号」の2台がエントリー。19日間で1万6,600kmを走破するラリーで、過酷な環境の中、初参戦にもかかわらず、2台ともが完走、「富士号」についてはAクラス優勝という快挙を成し遂げた。この結果が、「ダットサン」の耐久信頼性を世界に示す証となり、海外への本格輸出と躍進にも大きく寄与した。日本の自動車産業の国際競争力強化に向けて、技術開発力に優れたプリンス自動車工業㈱と合併した。当社の技術の粋を集めた「スカイライン2000GT-R」が誕生。量産車として世界初の「4バルブDOHC」機構が採用された。生産能力のさらなる増強に向けて、栃木県河内郡上三川町の300万㎡の用地に新工場を完成させた。高度成長期輸出・生産経 営経 営輸出・生産経 営輸出・生産経 営技 術輸出・生産【初参戦の「豪州ラリー」でクラス優勝】
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